類似取引比較法(先例取引法)とは? 使い方・限界と、類似会社比較法との違い
最終更新: 2026-09-12
類似取引比較法(先例取引比較法、Precedent Transactions Method)は、過去に実際に成立したM&A取引の価格と、その対象会社の財務数値から倍率を求め、それを評価対象の会社に当てはめて価値を推定する手法です。「理論上いくらの価値があるか」ではなく「同じような会社が実際にいくらで売買されたか」を出発点にするため、直感的で交渉の場でも使いやすいという特徴があります。
一方で、この手法は日本の中小企業のM&Aでは扱いが難しく、実務では主軸に据えられないことがほとんどです。非上場会社同士の取引は価格が公表されないため、参照できる事例が限られるからです。本稿では、類似取引比較法の定義と位置づけ、類似会社比較法との最大の違いである支配権プレミアムの扱い、算定手順、日本の中小M&Aにおける実務的な限界、計算例、そして使いどころまでを順に整理します。
結論:類似取引比較法は「参考値」として使うのが実務的
先に結論をまとめます。
- 定義:過去の類似M&A取引の価格倍率(EV/EBITDA、EV/売上高、PERなど)を参照し、評価対象の財務数値に当てはめて価値を推定する手法です。
- 類似会社比較法との最大の違い:類似会社比較法が参照するのは上場会社の市場株価、つまり少数株主が市場で売買している価格です。これに対して類似取引比較法が参照するのはM&Aの取引価格であり、経営権を取得する対価(支配権プレミアム)が含まれている点が決定的に異なります。そのため倍率は一般に高めに出やすい傾向があります。
- 日本の中小M&Aでの位置づけ:非上場同士の取引は価格が公表されず、十分なサンプル数を確保できません。したがって類似取引比較法は参考値として補助的に使い、主軸は類似会社比較法やDCF法、時価純資産法に置くのが一般的です。
類似取引比較法とは:定義と他手法のなかでの位置づけ
企業価値評価の手法は、大きく3つのアプローチに分かれます。市場での取引価格を基準にするマーケット・アプローチ、将来生み出すキャッシュフローを基準にするインカム・アプローチ、保有資産の価値を基準にするコスト(ネットアセット)・アプローチです。類似取引比較法は、このうちマーケット・アプローチに属します。3つのアプローチの全体像は株式評価の3つのアプローチ比較で整理しています。
| アプローチ | 代表的な手法 | 何を基準にするか | 類似取引比較法との関係 |
|---|---|---|---|
| マーケット・アプローチ | 類似会社比較法、類似取引比較法 | 市場や過去の取引で成立した価格 | 類似取引比較法はこの一種。参照先が「取引価格」である点が特徴 |
| インカム・アプローチ | DCF法、収益還元法 | 将来生み出すキャッシュフローや利益 | 個別の事業計画を反映できる。取引比較法のクロスチェックに使われる |
| コスト・アプローチ | 時価純資産法、簿価純資産法 | 保有する資産・負債の時価 | 収益力を反映しにくい。中小企業では下限の目安として併用される |
| 折衷的な簡便法 | 年買法(年倍法) | 時価純資産+営業利益の数年分 | 中小M&Aの現場で広く使われる。取引比較法の代替として機能する面がある |
非上場会社の評価でどの手法が使われるかの全体像は非上場株式の評価方法を、中小M&Aで実際によく使われる簡便法については年買法とはをあわせてご覧ください。
「取引が成立した価格」を参照するという発想
類似取引比較法の考え方はシンプルです。たとえば同じ業界で、直近数年のあいだに数件の会社売買があり、いずれも「EBITDAの7倍前後」で成立していたとします。であれば、同じ業界・同じような規模の会社も、おおむねその水準で評価されるのではないか——という推論です。不動産の売買で近隣の成約事例を参照する取引事例比較法と、発想としてはよく似ています。
この「実際に成立した価格」という点が、類似取引比較法の強みでもあり、同時に弱点でもあります。強みは、理論値ではなく現実の需給を反映していること。弱点は、その価格に売り手・買い手それぞれの個別事情(シナジーの見込み、売り急ぎ、競合入札の有無など)が混ざり込んでいて、外から切り分けられないことです。
類似会社比較法との最大の違い:支配権プレミアムが含まれるかどうか
類似取引比較法を理解するうえで最も重要なのが、類似会社比較法との違いです。両者はどちらもマーケット・アプローチで、同じEV/EBITDAなどの倍率を使いますが、倍率の出どころがまったく異なります。
| 項目 | 類似会社比較法 | 類似取引比較法(先例取引法) |
|---|---|---|
| 参照する価格 | 上場類似会社の市場株価 | 過去のM&Aで実際に成立した取引価格 |
| 価値の性格 | 少数株主価値(市場で1株ずつ売買される価格) | 支配株主価値(経営権を取得する価格) |
| 支配権プレミアム | 含まない | 含む(買い手が経営権の対価として上乗せした分が価格に入っている) |
| シナジーの反映 | 原則として含まない | 買い手固有のシナジーの一部が含まれている可能性がある |
| 倍率の水準 | 相対的に低めに出やすい | 相対的に高めに出やすい |
| データの入手 | 株価・決算は公表されており、随時更新される | 非上場案件は非公表が多く、入手できる事例が限られる |
| 時点 | 評価基準日の直近の株価を使える | 過去の一時点の取引。市況が変わっていることがある |
| サンプル数 | 上場会社から複数社を選べることが多い | 条件に合う取引が数件しか見つからないことがある |
つまり、類似取引比較法で得られる価値は、はじめから「経営権を取得する前提の価格」です。100%の株式を取得するM&Aの評価にはそのまま使いやすい一方、少数株式の評価に使う場合には、逆に非支配持分ディスカウント(マイノリティ・ディスカウント)の適用を検討することになります。支配権プレミアムの詳しい考え方はコントロールプレミアムとはで解説しています。
類似取引比較法の手順:4つのステップ
実際の算定は、次の4ステップで進めます。
| ステップ | 作業内容 | つまずきやすい点 |
|---|---|---|
| ① 類似取引の抽出 | 業種・規模・時期・取引形態・地域などの条件を決め、条件に合う過去のM&A取引を集める | 条件を厳しくすると件数がゼロに近づき、緩めると「類似」でなくなる |
| ② 各取引の倍率を算出 | 取引価格と対象会社の財務数値から、EV/EBITDA、EV/売上高、PERなどを計算する | 取引価格が株式価値なのか事業価値なのか、有利子負債の扱いを取り違えやすい |
| ③ 外れ値の除外と代表値の決定 | 極端な倍率を除いたうえで、中央値や四分位でレンジをとる | 件数が少ないと1件の外れ値が結果を大きく動かす |
| ④ 対象会社への適用と調整 | 代表値を対象会社の財務数値に掛け、規模・成長性・収益性・非流動性などを調整する | 調整率の根拠が曖昧になりやすく、二重計上も起きやすい |
① 類似取引の抽出条件
最初にして最も重要な工程が、どの取引を「類似」とみなすかの線引きです。一般に、次のような条件で絞り込みます。
| 抽出条件 | 考え方 | 設定の例 |
|---|---|---|
| 業種・事業内容 | 収益構造や設備負担、顧客層が近いかどうか。業種コードだけでなく、実際のビジネスモデルで判断する | 同一業種、または収益構造の近い隣接業種 |
| 規模 | 売上高・EBITDA・従業員数の水準。規模が違うと倍率も体系的に変わる | 対象会社の売上高の概ね2分の1〜2倍程度 |
| 時期 | 市況・金利環境が近い時期の取引か。古い取引は前提が異なる | 直近3〜5年以内に公表された取引 |
| 取引形態 | 100%取得か一部取得か、株式譲渡か事業譲渡か、買い手は事業会社かファンドか | 経営権の移転を伴う株式譲渡(100%または過半数取得) |
| 地域・市場 | 同じ国・地域か。規制、賃金水準、需要構造が異なると倍率も変わる | 国内案件を優先し、海外案件は補助的に参照 |
条件を厳しくするほど「類似性」は高まりますが、件数が足りなくなります。逆に緩めれば件数は増えますが、そもそも比較対象として妥当なのかという問題が生じます。このトレードオフをどう解くかが、類似取引比較法の実務上の最大の論点です。
② 各取引の倍率を算出する
抽出した取引ごとに、取引価格と当時の財務数値から倍率を計算します。よく使われる倍率は次のとおりです。
| 倍率 | 計算式 | 向いているケース | 注意点 |
|---|---|---|---|
| EV/EBITDA | 事業価値 ÷ EBITDA | 最も広く使われる。設備投資や償却方法の違いの影響を受けにくい | EBITDAの定義(役員報酬の調整など)を取引間でそろえる必要がある |
| EV/売上高 | 事業価値 ÷ 売上高 | 赤字企業や利益が不安定な企業。成長重視の業種 | 収益性の差を反映できないため、幅が非常に広くなりやすい |
| EV/EBIT | 事業価値 ÷ 営業利益 | 設備投資負担の差を含めて見たい場合 | 償却方法の違いが結果に影響する |
| PER(株価収益率) | 株式価値 ÷ 当期純利益 | 財務構成が近い会社どうしを比べる場合 | 負債水準の差の影響を強く受ける。税負担の違いも混ざる |
| PBR(株価純資産倍率) | 株式価値 ÷ 純資産 | 資産が価値の中心になる業種 | 収益力を反映しにくい |
ここで頻繁に混乱が起きるのが、事業価値(EV)と株式価値の区別です。EV/EBITDAで求まるのは事業価値であり、そこから純有利子負債(有利子負債から余剰現預金を差し引いた額)を控除しないと株式価値になりません。この関係は企業価値と株式価値の違いで詳しく整理しています。EBITDAそのものの定義はEBITDAとはを参照してください。倍率から事業価値・株式価値を手早く試算したい場合はEV/EBITDA倍率の無料計算ツールが使えます。
③ 外れ値の除外と中央値・四分位
集めた倍率をそのまま平均すると、極端な1件に結果が引きずられます。たとえば5件のうち1件だけが20倍で残りが6〜8倍という場合、単純平均は10倍前後になりますが、それは実勢を表していません。そこで実務では次のような処理をします。
- 外れ値の除外:明らかに水準の異なる取引は、理由を確認したうえで除外します。特殊なシナジーが見込まれた案件、救済的な色彩の強い案件、赤字で倍率が意味をなさない案件などが該当します。
- 中央値を代表値にする:件数が少ないほど平均値は外れ値に弱いため、中央値を使うのが一般的です。
- 四分位でレンジを示す:第1四分位から第3四分位までを幅として示し、「点」ではなく「レンジ」で結論を出します。件数が少なく四分位が計算しづらい場合は、最小値と最大値でレンジを示すこともあります。
- 除外した理由を記録する:どの取引をなぜ除いたかを残しておかないと、恣意的に都合のよい倍率だけを選んだと見られかねません。
④ 対象会社への適用と調整
代表値が決まったら、対象会社の財務数値に掛けて価値を求め、対象会社と参照取引群との差を調整します。主な調整項目は次のとおりです。
| 調整項目 | 調整の向き | 考え方 |
|---|---|---|
| 規模 | 対象が小さければマイナス調整 | 小規模な会社は経営基盤が脆弱で、買い手候補も限られるため、倍率は低めに評価されやすい |
| 成長性 | 対象の成長率が低ければマイナス、高ければプラス | 倍率は将来の成長期待を織り込んでいる。参照取引群より成長が鈍いなら差し引く |
| 収益性 | 利益率が低ければマイナス | 同じ売上規模でも利益率が違えば、支払われる倍率も変わる |
| 非流動性(DLOM) | マイナス調整 | 非上場株式はすぐに換金できない。参照取引が上場会社関与のものであれば、その差を調整する |
| 財務の健全性 | 負債が重ければマイナス | 有利子負債の水準や運転資本の状況が、買い手の支払余力に影響する |
| 属人性・事業の引継ぎやすさ | 属人性が高ければマイナス | 経営者個人に依存している事業は、買い手から見た継続性のリスクが大きい |
非流動性ディスカウント(DLOM)の水準感や適用の考え方は非流動性ディスカウント(DLOM)とはで詳しく解説しています。
計算例:3件の類似取引から評価額のレンジを出す
手順のイメージをつかむため、簡単な計算例を示します。以下の数値はすべて説明のための例示であり、特定の業種や実際の案件を指すものではありません。
前提
評価対象は非上場の中小企業で、直近期のEBITDAが8,000万円、有利子負債が2億円、余剰現預金が6,000万円(純有利子負債1億4,000万円)とします。同業で経営権の移転を伴う取引が3件公表されていたとします。
| 参照取引 | 事業価値(EV) | EBITDA | EV/EBITDA |
|---|---|---|---|
| 取引A | 24億円 | 3.0億円 | 8.0倍 |
| 取引B | 9億円 | 1.5億円 | 6.0倍 |
| 取引C | 14億円 | 2.0億円 | 7.0倍 |
| 中央値 | — | — | 7.0倍 |
| レンジ | — | — | 6.0倍〜8.0倍 |
中央値を当てはめる
- 事業価値(調整前)= EBITDA 8,000万円 × 7.0倍 = 5.6億円
- 規模ディスカウント20%を適用(参照取引3件はいずれも対象会社よりEBITDA規模が大きいため)→ 5.6億円 × 0.8 = 4.48億円
- 純有利子負債1.4億円を控除 → 株式価値 = 4.48億円 − 1.4億円 = 3.08億円
- 非流動性ディスカウント(DLOM)10%を適用 → 3.08億円 × 0.9 = 約2.8億円
レンジで示す
同じ調整を倍率の下限・上限に当てはめると、次のようになります。
| 適用倍率 | 事業価値(調整前) | 規模調整後 | 株式価値 | DLOM適用後 |
|---|---|---|---|---|
| 6.0倍(下限) | 4.8億円 | 3.84億円 | 2.44億円 | 約2.2億円 |
| 7.0倍(中央値) | 5.6億円 | 4.48億円 | 3.08億円 | 約2.8億円 |
| 8.0倍(上限) | 6.4億円 | 5.12億円 | 3.72億円 | 約3.3億円 |
結論としては「株式価値の目安はおよそ2.2億円〜3.3億円、中央値ベースで約2.8億円」となります。ここで注意したいのは、この2.8億円がすでに支配権を取得する前提の価格だという点です。参照した取引価格に経営権の対価が含まれている以上、この結果にさらにコントロールプレミアムを上乗せしてはいけません。
日本の中小M&Aにおける実務的な限界
ここまでの手順は理屈としては明快ですが、日本の中小企業のM&Aに当てはめようとすると、いくつもの壁にぶつかります。
| 限界 | 何が起きるか | 実務上の意味 |
|---|---|---|
| サンプル数が確保できない | 非上場会社同士の取引は、売り手にも買い手にも開示義務がなく、価格が公表されない。中小M&Aの大半はこれに当たる | 条件に合う取引が数件、あるいはゼロということが普通に起きる。統計的な代表値を出せない |
| 公表事例が上場企業関与に偏る | 価格が分かるのは、上場企業が買い手または売り手となり適時開示が行われた案件が中心 | 参照できる事例は、中小企業より規模が大きく、事業基盤も安定した会社に偏る。倍率は高めに出やすい |
| 取引条件が価格に混ざっている | アーンアウト(業績連動の追加対価)、役員退職慰労金、借入金や個人保証の扱い、運転資本の調整などが、公表される価格の中に混在している | 同じ「取引価格」でも中身が異なり、倍率の比較可能性が下がる。EBITDAの定義も取引ごとに違うことがある |
| 時期による市況差 | 金利、業界再編の進み具合、買い手の投資意欲によって、成立する倍率の水準は時期ごとに変わる | 数年前の取引倍率をそのまま現在に当てはめると、前提がずれる |
| 個別事情が切り分けられない | 特定の買い手にとってのシナジー、複数社が競った入札、売り手の資金繰り事情などが価格に含まれている | その取引でしか成立しない価格かもしれないが、外部からは判別できない |
| 財務数値の入手が難しい | 取引価格が分かっても、対象会社の当時のEBITDAや純有利子負債が分からなければ倍率を計算できない | 倍率を復元できず、事例として使えないことがある |
こうした事情から、日本の中小企業のM&Aでは、類似取引比較法を評価の主軸に据えることは一般的ではありません。実務では、上場会社の株価から倍率を取る類似会社比較法、事業計画に基づくDCF法、そして資産ベースの時価純資産法や年買法を組み合わせてレンジを示し、類似取引比較法は「その水準が実際の取引実感と大きく乖離していないか」を確かめる参考値として使うのが現実的な位置づけです。
中小企業の売却価格がどのような水準で決まりやすいかについては会社売却の相場はいくらかもあわせてご覧ください。
類似取引比較法が役に立つ場面
限界が大きいとはいえ、類似取引比較法が有効に働く場面もあります。
- 業界でロールアップ(同業の連続買収)が活発なとき:特定の業界で、規模拡大を狙う買い手が同種の会社を次々に買収しているような局面では、取引の水準感がある程度見えてきます。買い手側の投資基準が似通っているため、倍率のばらつきも比較的小さくなりやすい傾向があります。
- 同業他社の買収事例が公表されているとき:自社と近い規模・事業内容の会社の売却が公表されていれば、限られた件数でも有力な手がかりになります。
- 交渉での説得材料として:「同業のこの水準で取引が成立している」という事実は、理論値よりも相手に伝わりやすいことがあります。売り手が価格の妥当性を主張する場面でも、買い手が社内の稟議で価格を説明する場面でも使えます。
- 他手法の結果のクロスチェックとして:DCF法や類似会社比較法で出した結果が、実際の取引水準から大きく外れていないかを確認する物差しになります。乖離が大きい場合は、事業計画の前提や比較会社の選定を見直すきっかけになります。
- 買い手の投資判断の目安として:買い手にとっては「この業界ではEBITDAの何倍までなら投資回収が見込めるか」という感覚を持つ材料になります。
評価書がどのような場面で必要になるかは株価算定書が必要になる場面で整理しています。
プレミアムとディスカウントの二重計上に注意
類似取引比較法でとりわけ間違えやすいのが、プレミアムとディスカウントの扱いです。手法ごとに「どの性格の価値が出てくるか」が違うため、そこを踏まえずに調整を重ねると、二重に上乗せしたり二重に差し引いたりしてしまいます。
| 使う手法 | 得られる価値の性格 | コントロールプレミアム | DLOM |
|---|---|---|---|
| 類似会社比較法(上場株価ベース) | 少数株主価値・流動性あり | 100%取得の評価なら加算を検討する | 非上場株式なら適用を検討する |
| 類似取引比較法(取引価格ベース) | 支配株主価値・支配権の対価を含む | すでに含まれているため、原則として加算しない | 参照取引の性格に応じて適用を検討する |
| 類似取引比較法で少数株式を評価する場合 | 支配株主価値 | 加算しない。逆に非支配持分ディスカウントを検討する | 適用を検討する |
最も典型的な誤りは、類似取引比較法で求めた価値に、さらにコントロールプレミアムを上乗せしてしまうケースです。参照した取引価格にはすでに経営権の対価が含まれているため、これは同じものを二度数えることになります。プレミアムとディスカウントの関係はコントロールプレミアムとはと非流動性ディスカウント(DLOM)とはの2本で詳しく整理していますので、調整を入れる前に一度確認しておくことをおすすめします。
情報源の考え方
類似取引の情報をどこから取るかについては、次のような公表情報を確認するのが基本です。
- 上場企業の適時開示:上場企業が当事者となる子会社譲渡や買収では、取得価額や対象会社の直近の財務情報が開示されることがあります。取引倍率を復元できる可能性がある、数少ない情報源です。
- 有価証券報告書・決算短信:企業結合に関する注記から、取得原価やのれんの金額が読み取れることがあります。
- 各社の公表資料(プレスリリース等):買収の目的や対象会社の概要が記載されており、事業内容の類似性を判断する材料になります。
- 業界団体や公的機関が公表する統計・レポート:個別案件の価格ではなく、業界全体の再編動向や取引件数の傾向をつかむのに役立ちます。
- 買い手候補の投資基準に関する公表情報:買収方針や投資対象の規模感が公表されている場合、水準感の参考になります。
いずれの情報源でも、価格の内訳(アーンアウトの有無、退職金の扱い、負債の引継ぎ方など)まで開示されるとは限りません。倍率を計算する際は、「どこまでが公表されている事実で、どこからが自分の推定か」を分けて記録しておくことが大切です。
よくある質問(FAQ)
Q. 中小企業の評価でも類似取引比較法は使えますか?
A. 参考値としては使えますが、主軸にするのは難しいのが実情です。非上場会社同士の取引は価格が公表されないため、自社と規模・業種が近い取引の倍率を十分な数だけ集めることがほぼできません。公表されている事例は上場企業が関与する規模の大きい案件に偏るため、そのまま中小企業に当てはめると倍率が高すぎる結果になりがちです。実務では、類似会社比較法・DCF法・時価純資産法や年買法でレンジを出し、類似取引比較法はその妥当性を確かめる材料として補助的に使うのが一般的です。
Q. 類似取引は何件あれば足りますか?
A. 明確な基準はありませんが、中央値や四分位に意味を持たせるには、一般に5件程度以上が望ましいとされます。3件以下では1件の外れ値で結論が大きく動いてしまうため、「参考として見る」という位置づけを明示したほうが安全です。件数が足りないときに条件を緩めて無理に数を揃えると、類似性が失われて別の問題が生じます。件数を増やすことと類似性を保つことはトレードオフの関係にあるため、どちらを優先したかを記録しておくことが重要です。
Q. 何年前までの取引なら使えますか?
A. 一般には直近3〜5年以内が目安とされます。それより古い取引は、金利環境、業界の再編段階、買い手の投資意欲といった前提が現在と異なる可能性が高くなります。ただし、業界の構造が安定していて取引件数がもともと少ない分野では、やや古い事例も参考として含めることがあります。その場合は、当時と現在で市況がどう違うかを説明できるようにしておく必要があります。古い取引を含めるかどうかで結論が変わる場合は、含めた場合と含めない場合の両方を示すのも一つの方法です。
Q. 同業他社がいくらで売却されたかは、どこで分かりますか?
A. 相手が非上場企業同士であれば、原則として公表されません。M&Aの当事者は秘密保持契約を結ぶのが通常で、価格を開示する義務もないためです。価格が分かるのは、上場企業が当事者となり適時開示が行われた案件や、各社が自らプレスリリースで公表した案件が中心です。有価証券報告書の企業結合注記から取得原価が読み取れることもあります。噂や伝聞ベースの金額は、条件の内訳が不明なまま一人歩きしていることが多いため、評価の根拠にするのは避けたほうがよいでしょう。
Q. 類似会社比較法と類似取引比較法、どちらが正しいのですか?
A. どちらが正しいというものではなく、性格の異なる2つの物差しです。類似会社比較法は少数株主が市場で売買している価格、類似取引比較法は経営権が移転する際の価格を反映しています。100%取得を前提とするM&Aの評価では、本来は取引比較法のほうが目的に近いのですが、日本の中小企業ではデータが揃わないため、実務上は類似会社比較法にプレミアムの検討を加えるほうが説明しやすいことが多くなります。両方の結果が出せる場合は並べて示し、差がどこから来ているかを説明するのが望ましい進め方です。
Q. 支配権プレミアムはどう扱えばよいですか?
A. 類似取引比較法で求めた価値には、参照した取引価格を通じて支配権プレミアムがすでに織り込まれています。したがって、その結果にさらにコントロールプレミアムを加算するのは二重計上にあたります。反対に、類似取引比較法の結果を少数株式の評価に使う場合は、非支配持分ディスカウントの適用を検討します。非流動性ディスカウント(DLOM)については、参照した取引の性格によって扱いが変わります。上場企業が関与する流動性の高い環境での取引を参照しているのであれば、非上場企業への適用時にDLOMを検討する余地がありますが、参照取引自体が非上場会社の売買であれば、すでに一定程度織り込まれている可能性があります。どちらの前提に立ったかを明示しておくことが大切です。
まとめ
類似取引比較法(先例取引法)は、過去のM&A取引で成立した価格倍率を参照して企業価値を推定する手法です。類似会社比較法との最大の違いは、参照するのが市場株価ではなく取引価格であるため、支配権プレミアムが最初から含まれている点にあります。この違いを理解しないままプレミアムを加算すると、二重計上になってしまいます。
手順は、①類似取引の抽出(業種・規模・時期・取引形態・地域)、②各取引の倍率の算出、③外れ値の除外と中央値・四分位によるレンジ化、④対象会社への適用と規模・成長性・収益性・非流動性の調整、という4段階です。ただし日本の中小M&Aでは、非上場同士の取引価格が公表されないためサンプル数が確保できず、公表事例は上場企業関与のものに偏り、アーンアウトや役員退職金といった条件が価格に混ざり、時期による市況差もあります。結果として、類似取引比較法は参考値として使い、主軸は類似会社比較法やDCF法、時価純資産法に置くのが一般的です。
それでも、業界でロールアップが活発な場合や、同業の買収事例が公表されている場合、そして交渉の説得材料としては十分に価値のある手法です。複数の物差しを並べ、それぞれの前提と限界を理解したうえでレンジとして捉えることが、納得のいく価格の議論につながります。
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