運転資本ペグ(クロージング価格調整)計算ツール

「事業価値◯億円で合意した」あとに、引き渡し日の運転資本が想定と違っていたぶんだけ譲渡価格を精算するのがクロージング価格調整です。その基準になる金額をペグ(基準運転資本)と呼びます。本ツールは、月末運転資本の推移からペグの候補を5通り計算し、ペグの決め方だけで最終価格がいくら動くかを並べて確認できます。入力した数値はブラウザ内で計算され、サーバーに送信されません。

月末の運転資本(売上債権+棚卸資産−仕入債務)の推移を入力すると、基準運転資本(ペグ)の候補を5通り計算し、クロージング時点の実績との差額で最終的な株式価値がいくらになるかを比べられます。ペグの決め方だけで価格がどれだけ動くかを確認するためのツールです。入力した数値はブラウザ内で計算され、どこにも送信されません。

① 月末運転資本の推移(古い順・万円)

直近12か月ぶんを入力します。季節性のある事業ほど、何か月を平均するかで結果が変わります。

月末運転資本の推移

期間中の最大と最小の差は 4,000万円(事業価値の 6.7%)。この幅の中でクロージング日が決まるため、どの月に引き渡すかだけでも価格が動きます

② クロージング時点の実績と取引条件

③ どのペグを採るか

④ 最終的な株式価値

調整前の株式価値

54,000万円

EV − 純有利子負債 +6,000万円

運転資本による調整

±0万円

差額 +425万円(カラー内のため調整なし)

最終株式価値

54,000万円

5億4,000万円

採用したペグは 9,375万円、クロージング実績との差額は +425万円 です。 差額がカラー(500万円)に達していないため、価格調整は行われません

※ ペグの置き方を「最小値」にするか「最大値」にするかだけで、ペグの金額は 4,000万円動きます。これはそのまま譲渡価格の差になります。契約書で「ペグをいくらにするか」だけでなく「どの期間のどの数字から、どう計算して決めるか」まで書いておく必要があるのはこのためです。

ペグの決め方ペグ調整額最終株式価値基準との差
全期間の平均9,375±054,000基準
中央値9,250+55054,550+550
直近3か月の平均9,500±054,000基準
期間中の最小値8,000+1,80055,800+1,800
期間中の最大値12,000−2,20051,800−2,200

単位は万円。「基準との差」は全期間平均をペグにした場合との比較です。カラーを設定している場合は、各行にも同じ閾値を当てています。

※ 本ツールは概算です。実際の契約では、運転資本に含める勘定科目の範囲、算定に用いる会計方針、精算書の作成期限と異議申立ての手続、争いになったときの第三者専門家への付託範囲まで定めるのが通常です。契約条項の設計は弁護士・公認会計士等の専門家にご確認ください。

「事業価値で合意」しただけでは、受け取る金額は決まらない

M&Aの価格交渉は、多くの場合まず事業価値(EV)で合意します。EBITDAに倍率を掛ける、DCF法で求める、といった方法で出てくるのは会社の事業そのものの価値であって、株主が受け取る金額ではありません。そこから有利子負債を引き、現預金を足して株式価値に引き直す必要があります。この考え方は企業価値と株式価値の違いで詳しく解説しています。

ここで見落とされやすいのが運転資本です。売掛金・在庫・買掛金は事業を回すために必要な資金であり、事業価値には「この会社は通常これくらいの運転資本を抱えて回っている」という前提が織り込まれています。ところが運転資本の残高は、月によって、季節によって大きく動きます。もし売り手が引き渡し直前に売掛金を急いで回収し、在庫を絞り、支払いを引き延ばせば、現預金は増える一方で買い手は事業を回すための資金を自分で追加投入しなければならなくなります

これを防ぐのが価格調整条項です。あらかじめ「正常な運転資本の水準(ペグ)」を決めておき、クロージング時点の実績がそれを上回れば買い手が差額を追加で支払い、下回れば譲渡価格を減額する。式にすると次のようになります。

最終株式価値 = 合意した事業価値 − 純有利子負債(有利子負債 − 現預金) +(クロージング実績の運転資本 − ペグ)

運転資本そのものの計算方法や、回転日数・CCCの見方は運転資本・CCC 計算ツールで確認できます。まずそちらで自社の水準を把握してから、本ツールでペグを検討する流れが分かりやすいはずです。

ペグは「決め方」で金額が変わる

ペグの置き方に唯一の正解はありません。よく使われるのは直近12か月の月末残高の平均ですが、それ以外にも中央値、直近3か月の平均、期間中の最小値・最大値と、いくらでも置き方があります。そしてどれを採るかで金額が変わり、その差はそのまま譲渡価格の差になります

上のツールの初期値は、繁忙期に運転資本がふくらむ会社を想定しています。全期間平均を採る場合と、期間中の最小値を採る場合とで、ペグの金額は数千万円単位で違ってきます。買い手は低いペグ(=実績が上回りやすい、ではなく、正常水準はもっと低いはずだという主張)を、売り手は高いペグを主張しがちで、ここは実際に交渉の対象になります。

季節性の強い事業では、さらにクロージング日をいつにするかという問題も重なります。ツールの「月末運転資本の推移」のグラフで最大と最小の差を見てください。この幅の中のどこでクロージングを迎えるかによって、調整額の符号すら変わります。繁忙期の直後に引き渡せば実績はペグを上回り、閑散期なら下回ります。

だからこそ契約書では、ペグの金額だけでなく「どの期間の、どの勘定科目を、どの会計方針で集計して決めるか」まで書き切っておく必要があります。数字だけを書いて計算方法を書かないと、精算の段階で同じ「運転資本」という言葉が別々の意味で使われ、争いになります。契約条項全体の読み方は株式譲渡契約書(SPA)の要点をご覧ください。

「期ずれの精算」と「決算そのものが違っていた」は別問題

価格調整条項について、実務でもっとも誤解されやすい点があります。デューデリジェンスで見落とした問題を、あとから価格調整で取り返すことはできないということです。

この点を正面から扱った有名な裁判例が米国にあります。デラウェア州最高裁判所のChicago Bridge & Iron Company N.V. 対 Westinghouse Electric Company LLC ほか事件(2017年6月27日決定)です。買い手は、売り手が提出していた過去の財務諸表が会計基準に従っていなかったと主張し、その差額を価格調整(True-Up)の手続の中で取り戻そうとしました。裁判所はこれを認めませんでした。

判決は、価格調整条項を「重要ではあるが、狭く、従位的で、囲い込まれた救済手段」と位置づけ、その対象は契約の締結から引き渡しまでの間に運転資本に生じた変動だと述べています。想定されていたのは、その期間中に売り手が会計処理を途中で変えたり、工事を止めて投資を怠ったりした場合であって、過去の決算そのものの当否を争う場ではないという整理です。過去の財務諸表の正確性は表明保証の問題であり、契約でその責任が制限されているのなら、価格調整の手続でそれを迂回することはできない、というのが結論でした。

米国の判決であり、日本の契約にそのまま適用されるものではありません。しかし「価格調整は期ずれの精算であって、デューデリジェンスの代わりではない」という区別は、契約の構造上どの国でも同じように問題になります。財務の実態はデューデリジェンスの段階で確かめ、過去の決算に関する責任は表明保証と補償条項で手当てする。価格調整条項に期待してよいのは、あくまで引き渡し日時点の残高のズレの精算だけだと考えてください。

カラー(少額の差額は調整しない)を置く理由

差額がわずかでも精算手続を発動させると、会計士を入れて資料を作り、双方で確認し、場合によっては異議を申し立てる、という手間が両者に発生します。それに見合わない金額のために手続を動かさないよう、「差額が一定額に達しない限り調整しない」という閾値を置くことがあります。上のツールではこれをカラーとして入力できます。

閾値の書き方には、超えた場合に差額の全額を調整する方式と、超過分だけを調整する方式があり、結果が変わります。本ツールは中小規模の取引で一般的な前者(全額調整)で計算しています。どちらの方式かを契約書で明確にしておいてください。

契約書で決めておくこと

  • 運転資本の定義:どの勘定科目を含めるか。未収入金・前払費用・未払金・前受金・賞与引当金などは、含める/含めないで金額が大きく動きます。含めない科目も明記します。
  • ペグの金額とその算出根拠:金額だけでなく、対象期間・集計方法(平均か中央値か)・基準日をあわせて記載します。
  • 会計方針の一致:ペグの算定に使った会計方針と、クロージング精算書の会計方針を同じにする。ここが揃っていないと、数字の差が実態の差なのか処理の差なのか分からなくなります。
  • 精算書の作成者と期限:どちらが何日以内に作るか、相手方はいつまでに異議を申し立てられるか。
  • 争いになったときの付託先と範囲:第三者の会計専門家に判断を委ねる場合、その専門家が判断できる論点の範囲を限定しておきます。範囲が曖昧だと、価格調整の手続がデューデリジェンスのやり直しの場になりかねません。
  • カラーの有無と方式:閾値の金額と、超えたときに全額を調整するのか超過分だけかを明示します。
  • 純有利子負債の定義との重複を避ける:有利子負債として控除する項目と、運転資本に含める項目が重なっていないか確認します。重なると同じ金額を二重に差し引くことになります。

よくある質問

小規模なM&Aでも価格調整条項は必要ですか

取引金額に対して運転資本の変動幅が小さいのであれば、精算手続の手間のほうが大きくなることもあります。一方、季節性が強い事業や、売掛金の回収サイトが長い事業では、変動幅が譲渡価格の数%に達することも珍しくありません。上のツールで「期間中の最大と最小の差が事業価値の何%か」を確認し、その比率を見て判断するのが現実的です。小規模な取引の進め方はスモールM&Aとはもあわせてご覧ください。

売り手として不利にならないために何をすべきですか

ペグの算定根拠になる月次データを自分の側で先に整理しておくことです。季節性があるなら、なぜその月に残高がふくらむのかを説明できる資料を用意します。交渉の材料になるのは主張ではなく数字なので、準備の段階で手を打っておくほうが有効です。売却準備の進め方はセルサイドDDと磨き上げ、必要な資料は企業価値評価に必要なデータを参照してください。

運転資本の調整と純有利子負債の調整は何が違いますか

純有利子負債の調整は「借入と現預金の残高を、事業価値から株式価値へ引き直すため」のものです。運転資本の調整は「事業を回すために必要な資金が、想定どおりの水準で引き継がれたか」を見るものです。目的が違うため、両方を置くのが通常です。ただし同じ項目を両方に入れてしまうと二重に効いてしまうので、定義の重複には注意してください。

ペグを決めたあとに事業が大きく伸びた場合はどうなりますか

売上が伸びれば売掛金も在庫も増えるため、実績はペグを上回りやすくなります。その結果として買い手の支払額が増えますが、これは「事業が成長したぶん必要な運転資金も増えた」という実態を反映したものです。ただし成長が織り込み済みであれば、ペグ自体を過去実績ではなく事業計画にもとづいて置くという考え方もあります。どちらを採るかは交渉次第です。

調整の結果、支払いはいつ行われますか

クロージング後に精算書を作成し、確定した差額を一定期間内に支払うのが一般的です。時期と方法は契約で定めます。全体のスケジュール感は会社売却の流れをご覧ください。

関連する解説記事

ほかの無料ツール

※ 本ツールは概算です。出力される金額はいずれも目安であり、特定の条件を推奨するものではありません。引用した米国の裁判例は日本の契約に直接適用されるものではなく、契約条項の設計・解釈は弁護士・公認会計士等の専門家にご確認ください。

価格調整の前に、そもそもの事業価値を根拠のある数字にする

M&Aバリュークラウドの詳細版レポート(5,500円・税込)は、DCF法・類似会社比較法・時価純資産法を並べた評価レンジと、その前提をPDFにまとめます。要点だけを押さえた簡易版レポートは2,200円(税込)です。登録と試算は無料でお試しいただけます。