知財デューデリジェンス(知財DD)とは|中小M&Aで見る範囲・売り手の準備・企業価値評価への効き方

最終更新: 2026-09-20

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中小企業のM&Aで実施されるデューデリジェンス(DD)というと、まず思い浮かぶのは財務DDと法務DDでしょう。一方で、事業の中身がソフトウェアやブランド、製法ノウハウに寄っている会社では、「その技術やブランドを、買った後も本当に使い続けられるのか」という論点が、決算書を読むだけでは出てきません。ここを見るのが知的財産デューデリジェンス(知財DD)です。

知財DDには、国が公表した手順書があります。特許庁の「知的財産デュー・デリジェンス標準手順書及び解説」(別紙として「調査項目一覧表」および「開示請求リスト」を伴う資料)です。これは平成29年度特許庁産業財産権制度問題調査研究「知的財産デュー・デリジェンスの実態に関する調査研究報告書」(2018年〈平成30年〉3月)とあわせて取りまとめられた資料で、現在は特許庁のスタートアップ向けポータルサイト「IP BASE」でウェブ版が公開されています。もともとはスタートアップへの出資・提携を主な想定場面としていますが、そこで整理されている「何を見るのか」の順番は、技術やブランドが価値源泉になっている中小企業のM&Aにもそのまま応用できます。

本稿では、この標準手順書で確認できる内容を軸に、知財DDが何を見るのか、売り手は何を準備しておけばよいのか、そして知財の状態が企業価値評価や契約条件にどう跳ね返るのかを整理します。DDそのものの一般的な流れ・費用・種類についてはデューデリジェンス(DD)とは?で解説していますので、本稿は知財に絞って読み進めてください。売り手側の事前整備という観点はセルサイドDDと売り物の磨き上げとも重なります。

本稿で参照した公的資料は、特許庁「知的財産デュー・デリジェンス標準手順書及び解説」(平成29年度特許庁産業財産権制度問題調査研究「知的財産デュー・デリジェンスの実態に関する調査研究報告書」(2018年〈平成30年〉3月)とあわせて公表。特許庁「IP BASE」にウェブ版を掲載)、特許庁「特許法第35条第6項の指針(ガイドライン)」(2016年〈平成28年〉4月22日・経済産業省告示第131号)、経済産業省「営業秘密管理指針」(2003年〈平成15年〉1月30日策定、最終改訂2025年〈令和7年〉3月31日)、中小企業庁「中小M&Aガイドライン(第3版)」(2024年〈令和6年〉8月)です。区分や進め方はいずれも実務上の目安として示されているもので、個別の判断は最新版の資料と、弁理士・弁護士等の専門家への確認が前提になります。

知財DDとは何か——財務DD・法務DDとの役割分担

標準手順書は、まずDD全体を目的別に整理しています。すなわち、法律上のリスクがないかを調べる「法務DD」、過去の税務処理の不備を調べる「税務DD」のように主としてリスク評価の観点から行うDDと、事業活動を経営・経済的に分析して期待するシナジーやキャピタル・ゲインが得られるかを検証する「ビジネスDD」のように主として価値評価の観点から行うDDがあり、財務DDは「財務会計処理が適正か」と「企業価値と投資額が釣り合っているか」の両側面を持つ、という説明です。このほか人事DD、IT DDなど、主としてPMI(買収後の統合)の便宜のために行うDDもあると整理されています。

そのうえで知財DDの位置づけについて、標準手順書は、対象会社の技術が第三者の特許権を侵害していないか、あるいは自社が強い特許権を保有しているかを調査するものであり、「法務DDの一部であり、同時にビジネスDDの一部」であると述べています。知的財産に魅力を感じて出資・買収する場合には、知財DDを実施する必要性が高い、とも整理されています。

ここが重要なところです。知財DDは、法務DDのように「権利があるか・紛争がないか」を確かめる作業であると同時に、ビジネスDDのように「その権利が将来の稼ぎをどこまで支えるか」を確かめる作業でもあります。買い手がDCF法で将来キャッシュフローを見積もるとき、その事業計画の前提には「この技術を使い続けられる」「このブランドを使い続けられる」という暗黙の条件が入っています。知財DDは、その暗黙の条件が本当に成立しているかを点検する工程だと考えると分かりやすくなります。

DDの種類主な目的(標準手順書の整理)知財DDとの関係
財務DD財務会計処理の適正性と、企業価値と投資額の釣り合いの検証(リスク評価・価値評価の両面)無形資産の帳簿計上と実態のずれ、ライセンス料収入・支払の継続性などで接点が生じる
法務DD事業活動に法律上のリスクがないかの調査(主にリスク評価)知財DDは法務DDの一部。契約上の制約や紛争の有無は両者にまたがる
税務DD過去の税務処理に不備がないかの調査(主にリスク評価)直接の重なりは小さいが、知財の移転を伴うスキーム変更時には検討対象になる
ビジネスDD事業活動を経営・経済的に分析し、期待するシナジーやキャピタル・ゲインが得られるかの検証(主に価値評価)知財DDはビジネスDDの一部でもある。価値源泉の特定は両者の共通作業
IT DD・人事DDITインフラの構成・運営状況、人事評価や雇用状況の確認(主にPMIの便宜)営業秘密の管理体制(アクセス管理等)はIT DDと重複しうる、と手順書も明示

中小企業のM&Aで知財DDが独立の工程として立つことは、実際にはそれほど多くありません。費用と時間の制約があるからです。標準手順書自身も、DDには費用の制約と時間的制約があり、出資等のDDの実施期間として1〜2か月という短い期間が設定されることが多い、と率直に書いています。だからこそ、調査範囲を合理的に絞り込む必要がある、というのが手順書の出発点です。スモールM&Aの規模感では、法務DDの中の一項目として、あるいは買い手のヒアリングの一部として扱われることが通常でしょう。それでも「どこを見られるのか」を知っておくことには意味があります。

標準手順書が示す進め方——作業1から作業5

標準手順書は、知財DDの手順は概ね一般的なDDの手順と同様であるとしたうえで、次の5つの作業に整理しています。

  • 作業1 対象会社・対象事業に関する事前検討:ヒアリング、事前開示資料、一般公開資料の範囲で検討し、調査対象を特定し、調査対象ごとに問題となる知的財産権の種類を特定する。
  • 作業2 調査対象の特定:出資等の目的、作業1で把握した内容、スケジュール、調査費用の予算等を総合考慮して、調査の対象とする事業・製品・サービスの範囲を絞る。
  • 作業3 調査方針の立案:別紙「調査項目一覧表」を参照しながら、調査項目・調査方法・調査スケジュールを決める。
  • 作業4 資料開示の要請:調査方針に従い、開示を求める資料の一覧を対象会社に示して開示を依頼する。
  • 作業5 調査実施:開示資料の調査、ヒアリング、質問票(Q&Aシート)のやり取り、外部データベースの調査等を実施する。

実務上とくに押さえておきたいのは、作業2と作業3の「絞り込み」です。手順書は、対象会社は多種多様な技術等や製品等を保有している可能性があるため、それらの全てを調査の対象とすることは現実的ではない、と明言しています。そのうえで、調査対象を①対象会社の製品・サービスと、②それらの提供に利用しているシステム・ソフトウェア等(利用システム等)に分け、それぞれに使われている技術等を特定してから重要性の高低を分析して絞り込む、という順序を示しています。製品と技術の紐付けは一見しては分からないことが多いので、この特定作業は対象会社の協力を得ながら行うことになる、とも述べられています。

もうひとつ、手順書はヒアリングの比重が高いことを強調しています。知財DDでは他のDDに比べてヒアリングの重要性が高い場合も多く、事業上欠かすことのできない技術等の特定は仕様書のような客観資料から直ちに明らかにならない一方、開発者へのヒアリングで容易に明らかになることがある、という指摘です。さらに、著作権の帰属は産業財産権のような登録制度がないため創作過程をヒアリングで確認するほかなく、ノウハウ・営業秘密はそもそも紙の資料がない場合も多い、とされています。売り手からすると、「誰が、いつ、どうやって作ったのか」を説明できる人を社内に残しておくこと自体が準備になる、ということです。

なお、調査に先立って秘密保持の枠組みを整えておく点は、他のDDと変わりません。開示資料の多くは対象会社の営業秘密に当たるため、手順書は、開示資料を見られる者を外部の弁護士・公認会計士等の専門家に限定し、出資者等はその調査報告のみを受けるケースが比較的多いと述べています。実務の流れはNDA(秘密保持契約)とはM&AにおけるNDAの実務を参照してください。全体の時間軸は会社売却の流れで確認できます。

何を見るのか① 価値源泉の特定と、権利の帰属

標準手順書の別紙「調査項目一覧表」は、調査項目を大きく6つに分けています。Ⅰ.対象会社における価値源泉となる技術等の分析・特定、Ⅱ.対象技術等ごとの利用可能性・利用可能範囲の調査、Ⅲ.知財関連紛争の調査、Ⅳ.第三者の権利を侵害するリスクの調査(いわゆるFTO調査)、Ⅴ.ガバナンス調査、Ⅵ.価値評価、の6分類です。

Ⅰでは、対象会社の事業内容(商流、契約関係)を分析して価値源泉となる製品・サービスを特定し、各製品の現在および将来の収益予測を比較・分析して重要性のランク付けを行い、調査対象を絞ります。ここは企業概要書(IM)の作り方で整理する内容とかなり重なります。売り手が最初から「どの製品が稼ぎ頭で、それはどの技術で成り立っているか」を言語化できていれば、この工程は一気に短くなります。

Ⅱの入口は帰属の確認です。手順書は、対象技術等を対象会社が単独で保有しているのか第三者が保有しているのかを、①法的な観点と②事実上の観点の両方から調査・検討する必要があるとしています。具体的には、発明者・創作者の確認、共有者の確認という直接的な確認に加えて、製品の開発方法の確認や、技術等の利用に関する契約の確認といった「技術が生まれた経緯」を確認することで、登録情報上の形式的な記載と実際の権利関係の不一致を発見できる、と説明されています。業務委託契約や共同開発契約の内容を見れば、自社開発なのか、共同開発なのか、第三者へ外注したのかが確認できる、というわけです。

調査の道具としては、特許・意匠・商標など特許庁への登録を要する権利については登録原簿の閲覧が一般的とされ、あわせて、独立行政法人工業所有権情報・研修館(INPIT)が無償で提供する特許情報プラットフォーム(J-PlatPat)の利用も挙げられています。ただし手順書は、J-PlatPatには最新情報の反映までに多少のタイムラグがあるため、重要な対象技術等に限って登録原簿を確認することもあり得る、と注意を付しています。著作物については、登録をせずとも法律上は権利が発生するため、登録の調査で権利帰属が確認できるわけではない、とも明記されています。

何を見るのか② 権利の存否・有効性・権利範囲と、契約上の制約

帰属が確認できたら、次はその権利が生きているか、どこまで及ぶか、そして自由に使えるかを見ます。標準手順書は、権利の種類ごとに調査項目を立てています。

知財の種類標準手順書が挙げる主な確認項目実務上のポイント
技術(特許権・実用新案権)出願・登録の経過、審査請求の有無と期限、補正・訂正・拒絶査定、登録料の支払と存続期間、異議申立・無効審判の有無、特許発明の技術的範囲、担保設定、通常実施権・専用実施権の有無新規性・進歩性の調査は技術的困難と時間・費用の制約から実務では限られた分野に絞られる、と手順書自身が述べる。重要技術については請求項の減縮の経緯を出願経過から確認し、製品との対照表(クレーム・チャート)を作ることもある
ブランド(商標権)登録の有無、登録料の支払、存続期間、異議申立・審判請求(無効・不使用取消・不正使用取消)の有無、指定商品・指定役務、使用実態、担保設定、使用権の設定商標法50条により、3年以上継続して登録商標を指定商品・役務に使用していない場合は第三者が登録の取消を請求できるため、使用実態の確認が入る。カタログ等の販促資料が使用時期の裏付けになる
デザイン(意匠権)登録状況、権利の有効性、権利範囲、担保設定・ライセンスの有無技術(特許権)の調査項目に準じた構成になっている
ソフトウェア・コンテンツ(著作権)登録情報、保護期間、対象著作物の内容と類似の範囲、担保設定、独占的・非独占的利用許諾の有無、第三者から譲り受けた場合の著作権法27条・28条の特掲、著作者人格権不行使特約の有無著作権の登録は権利発生要件ではなく対抗要件や法律上の推定効にとどまるため、登録調査の必要性は産業財産権に比べて著しく低い、と手順書は整理する
営業秘密・ノウハウ不正競争防止法上の営業秘密の要件(秘密管理性・有用性・非公知性)の充足、第三者へのライセンスの有無と内容、秘密保持の内容・方法秘密管理性は社内の管理体制というガバナンスの観点からの調査が重要になる。秘密管理規程・就業規則・秘密保持誓約書などが調査資料として挙げられている

著作権のところは、中小企業のM&Aで実際に効いてくる論点なので補足します。手順書は、著作権法27条(翻案権)および28条(二次的著作物の利用に関する原著作者の権利)は、著作権譲渡契約において「特掲」しない限り譲渡の対象にならない(同法61条2項)と指摘しています。つまり契約書に「一切の著作権を譲渡する」と書いただけでは、これらの権利は移っていないことになります。加えて、著作者人格権は譲渡できない(同法59条)ため、同一性保持権や氏名表示権について行使しない旨の特約を置くのが一般的である、とも説明されています。導入したソフトウェアを将来改良する必要があるかどうかを踏まえて、この規定の有無を確認する、という整理です。

契約上の制約についても、手順書は具体的です。第三者に帰属する技術等を適法に使うには、その第三者から許諾を受けているか、許諾を受けた第三者からさらに許諾を受けている(サブライセンス)必要がある、としたうえで、ライセンス契約は名称が様々で、共同開発契約や研究委託契約のように「ライセンス」「許諾」という文言を含まない契約に実質的なライセンス条項が入っている場合もあり注意が必要だ、と述べています。対象会社に「ライセンス契約」の開示を求めても、こうした契約は開示対象から漏れることが多いため、事業上必要な重要な知的財産については、Q&Aシートなどで個別に実施・使用できる根拠を確認することも有用だ、というのが手順書の指摘です。

自社保有の権利に「負担」が付いていないかも確認されます。質権や譲渡担保といった担保権の負担と、第三者へのライセンス(専用実施権・通常実施権)に伴う負担です。手順書は、特許権への担保権設定は登録が効力発生要件であるため登録原簿を確認すればよい一方、著作権のライセンスには登録制度がないため常に契約書の内容を確認する必要がある、と使い分けを示しています。とくに専用実施権が設定されている場合は権利者自身も実施できない点に注意が必要です。

何を見るのか③ 紛争、第三者権利との抵触(FTO)、ガバナンス

Ⅲの紛争調査は、係属中の訴訟・訴訟外紛争・過去の紛争の一覧と関係資料の確認です。手順書は、時間が限られている知財DDの場面では、対象会社がまとめた訴訟一覧や紛争一覧を踏まえ、訴額の大きな紛争に関する弁護士等の専門家の意見書等を調査して妥当性を検証するにとどめることも一般的である、と現実的な水準を示しています。

Ⅳは、取引後に対象会社の製品を製造・販売するにあたって第三者の権利を侵害しないかを調べる、いわゆるFTO(Freedom to Operate)調査です。ここについて手順書はかなり率直で、この調査はそれ自体で多くの時間と費用を要するため、期間や費用が限られているDDにおいて十分に行われることは珍しく、Ⅲの「対象会社が認識している紛争の調査」にとどめることが一般的だ、と述べています。仮に行う場合でも、現に侵害していないか、侵害する可能性が顕著に存在するかを調べる程度であることが多い、という整理です。中小企業のM&Aで「FTO調査までやらないのは手抜きではないか」と心配する必要はなく、どこまでやったか・やらなかったかを明示しておくことのほうが重要だといえます。

Ⅴのガバナンス調査は、個別の権利調査では見つからない潜在的リスクを拾うための工程です。手順書は、①知財に関する基本方針、②知財(営業秘密を除く)の管理体制、③営業秘密の管理体制、④職務発明の取扱い、という観点から調査項目を挙げています。営業秘密の管理体制については、個別の営業秘密の秘密管理性だけでなく、社内の情報セキュリティ(アクセス管理等)などIT DDと重複する事項の確認も必要だ、とされています。また、不正競争防止法上の秘密管理性は、営業秘密に触れる者が秘密として管理されていることを認識可能な客観的状況があるかで判断されるため、従業者へのセキュリティ教育の実施状況をヒアリングで確認することも有用だ、と述べられています。営業秘密の考え方そのものは、経済産業省「営業秘密管理指針」(2003年〈平成15年〉1月30日策定、最終改訂2025年〈令和7年〉3月31日)が基本文献になります。

中小企業M&Aで実際に問題になりやすい論点

職務発明の取扱いと、創業者個人名義の権利

標準手順書は、職務発明について特許を受ける権利を会社が取得するには、従業者から譲渡を受けるか、職務発明規程等の社内規則で必要な規程を設けることが必要だ、としています。そのうえで、創業者が発明者であることが多い会社では相当の利益(対価)請求権への認識が希薄で現実のリスクとして顕在化しないことも多いが、特許法上は事前の基準がなければ相当の利益の内容が裁判所に委ねられ、将来的に負担する債務の範囲が定まらないことになる、と指摘しています。相当の利益を定める際の手続については、特許庁「特許法第35条第6項の指針(ガイドライン)」(2016年〈平成28年〉4月22日・経済産業省告示第131号)が、協議の状況・開示の状況・意見聴取の状況という観点から考え方を示しています。

もうひとつ、中小企業で頻出なのが創業社長名義の権利です。手順書は、特許法上の「従業者等」には会社の代表権を持つ役員(代表取締役等)は含まれないため、創業社長が発明者であるような場合には職務発明に当たらないこともあり得る、と述べています。そのうえで、今後も権利を創業社長が保有し続けて会社にライセンスするのか、会社が権利を取得済み・将来取得するのかは重要なポイントになる、としています。名義が個人のままだと、株式を譲渡しても中核技術が会社に残らない、という事態が起こり得ます。株主名簿の整理と同じ発想で事前に片づけておきたい論点で、この種の「名義のずれ」の扱いは名義株の整理と共通します。

商号・商標の未登録

手順書は、製品等のブランドを法的な権利として保護していくうえで商標登録の有無は重要であり、仮に登録がなくとも不正競争防止法に基づいて誤認混同を生ずる表示の差止請求を行う余地はあるが、模倣者の主観的要件や周知性の立証のハードルは低くないため、やはり商標登録を受けている方が安心である、と述べています。長年使ってきた屋号やサービス名を登録していない会社は中小企業では珍しくありません。買い手から見れば、承継後にブランドを使い続けられるかどうかの不確実性になります。

フリーランス・外注先への著作権とソースコードの帰属

ソフトウェアを外注して作っている会社では、著作権が受託者に残ったままになっていることがあります。標準手順書は、開示請求リストの中で「外注・共同開発の場合」の資料として、業務委託契約書・技術顧問契約書・技術提携契約書・OEM契約書・製作委託契約書・研究委託契約書・共同開発契約書などを列挙しています。前述の著作権法27条・28条の特掲と著作者人格権不行使特約は、まさにここで効いてきます。手順書は、PMIで対応すべき事項の例として「業務委託の雛形契約において知的財産権の権利移転が明記されていない」を挙げており、契約書の雛形そのものが論点になり得ることを示しています。IT・ソフトウェア企業の評価の全体像はIT・ソフトウェア企業の企業価値評価、サブスク型ならSaaSのバリュエーションを参照してください。

オープンソースソフトウェア(OSS)の扱い

標準手順書は、用語の定義において「第三者著作物」に、製品等に利用されているソフトウェア(オープンソースソフトウェアを含む)を含めています。また、開示請求リストでは第三者からのライセンスインに関する資料の例として「オープンソースソフトウェア規約」を挙げ、表明保証の条項例では本件システムに係る知的財産権からフリーソフトウェアおよびオープンソースソフトウェアに関する権利を除く、という書き方を示しています。つまり、OSSは「自社の権利」ではなく「第三者の著作物を条件付きで使っている状態」として整理し、その条件(規約)を確認対象にする、という位置づけです。自社プロダクトにどのOSSがどのライセンスで組み込まれているかを一覧にしておけるかどうかが、実務上の分かれ目になります。

ライセンス契約のチェンジオブコントロール条項

手順書は、支配権移転(Change of Control)条項を、当事者の株主構成の変更や合併による法人格の消滅等を契約の解除事由や事前通知事由とする条項だと説明しています。株式譲渡によって支配権が移ると、重要なライセンス契約が解除され得る——これは中小企業のM&Aでも十分に起こる話です。手順書は、重要なライセンス契約に支配権移転条項がある場合や、契約更新時期が到来するものの更新が未確定である場合を、実行の前提条件(クロージング条件)の設定を検討すべき発見事項の例として明示しています。また、親会社経由でサブライセンスを受けている会社が、取引の実行によってサブライセンス先の範囲から外れてしまうケースも挙げられています。

営業秘密の管理

不正競争防止法上の「営業秘密」として保護を受けるには、秘密管理性・有用性・非公知性の要件を満たす必要があります。手順書は、必ずしも同法の営業秘密に該当しなくともノウハウとして価値を有する場合はあるが、いずれにせよ秘密に管理されていることにその優位性があることに変わりはない、と整理しています。PMIで対応すべき事項の例としても「営業秘密について不正競争防止法の保護を受けるために必要な秘密管理性の担保ができていない(マル秘マーク、アクセス制限など)」が挙げられており、統合後の課題として引き継がれる論点であることが分かります。成立後の進め方は中小PMIガイドラインの要点が参考になります。

知財は企業価値評価にどう効くか

知財DDの結果は、価格と契約条件の両方に跳ね返ります。ここは一般論として、順を追って整理します。

第一に、将来キャッシュフローの前提としての効き方です。インカム・アプローチで企業価値を見積もる場合、事業計画に織り込まれた売上や利益は「その製品・サービスを提供し続けられること」を前提にしています。中核技術に第三者の権利が及んでいたり、ライセンス契約が更新されない見込みだったりすれば、その前提が崩れます。標準手順書も、主要な収益源であるライセンスアウト契約の一部が更新されない見込みが高く収益の大幅な低下が予想される場合などを減額要因になり得る例として挙げ、価値算定に反映(DCF法に用いる事業計画数値の修正、偶発債務相当額の控除等)して価格の合理性を改めて検証しなければならないと述べています。評価の前提となるデータ整理は企業価値評価に必要なデータ、株式価値と企業価値の関係は企業価値と株式価値の違いで確認できます。

第二に、のれん(営業権)との関係です。中小企業のM&Aでは、時価純資産に営業権を上乗せする考え方がよく使われます。時価純資産法で積み上げた純資産を超える部分、すなわちのれん・営業権は、貸借対照表に表れていない収益力の源泉に対する対価です。その源泉が技術・ブランド・ノウハウであるなら、知財DDはまさにのれんの中身を点検する作業にあたります。会計処理としてののれんの扱いはのれんの償却を、超過収益力そのものの考え方は正常収益力(正常化EBITDA)を参照してください。買い手が期待するシナジーの一部が知財に依存している場合、その依存度はM&Aのシナジーの実現可能性そのものに関わります。スタートアップの評価で無形資産の比重が特に高くなる理由はスタートアップのバリュエーションでも触れています。

第三に、契約条件への反映です。標準手順書は、発見事項に対する対応策を、リスクの高低に応じて整理しています。リスクが高い場合は取引自体の中止、主要な取引条件の変更、取引価格の減額、取引手法の変更。中程度であれば契約書におけるリスクヘッジ、すなわち実行の前提条件の変更・追加、実行前の義務の変更・追加、表明保証条項、実行後の義務の変更・追加。低い場合はPMIで対応すべき事項の検討と表明保証条項——という整理です。

リスクの程度標準手順書が挙げる対応策の例中小M&Aでの現れ方(一般論)
取引自体の中止/主要な取引条件の変更/取引価格の減額/取引手法の変更収益の大部分を占める製品の技術に友好的でない第三者の権利が及ぶ、といった場合。株式譲渡から事業譲渡・会社分割へのスキーム変更が検討されることもある
実行の前提条件の変更・追加/実行前の義務の変更・追加/表明保証条項/実行後の義務の変更・追加重要なライセンス契約の支配権移転条項について、契約相手方の書面同意の取得をクロージング条件に置く、といった形
PMIで対応すべき事項の検討/表明保証条項職務発明規程が未整備、業務委託の雛形に権利移転が明記されていない、秘密管理の措置が不十分、といった整備事項

手順書には、知的財産権一般に関する表明保証の条項例も掲載されています。現在の事業を行うために必要な知的財産権を単独で適法かつ有効に保有し、またはライセンスを受けていること。担保権・実施権の設定、無効原因その他の瑕疵、ライセンス契約に係る債務不履行事由、訴訟等といった、権利に悪影響を及ぼし、または現行の態様での使用を制限する事由が存しないこと。第三者の知的財産権を侵害しているとの通知・請求を受領していないこと。役員・従業員が行った職務発明等に係る知的財産権について、対価等の支払義務を一切負っていないこと——といった内容です。最終契約の条項構成は株式譲渡契約(SPA)の要点で整理しています。基本合意の段階でどこまで書くかは基本合意書(LOI)の書き方を参照してください。

ただし手順書は、スタートアップに対して網羅性のある表明保証を求めることの限界にも触れています。顕在化の可能性の高低が不明確だという理由だけでリスクの一切を対象会社側に転嫁することは、必要以上のリスク回避対応や保険契約のコストを負担させ、成長性を阻害しかねない、という指摘です。中小企業のM&Aでも同じ構図があります。売り手の体力に見合わない表明保証は、結局のところ交渉を壊す方向に働きます。中小M&Aガイドライン(第3版)が示す支援機関の役割も踏まえ、どこまでを契約で守り、どこからを価格で調整し、どこからをPMIで直すのかを分けて考えるのが現実的です。

売り手の事前準備チェックリスト

標準手順書の別紙「開示請求リスト」は、知財DDで開示を求める資料のリストであると同時に、知財DDで行う質問(書面・ヒアリング)の項目も兼ねる、と注記されています。つまり売り手にとっては、そのまま準備リストになるということです。以下は、そのリストの構成を中小企業向けに要約したものです。

区分準備しておく資料・情報(開示請求リストの構成を要約)中小企業でつまずきやすい点
1. 基本的資料決算書・税務申告書(勘定科目内訳明細書を含む)、事業計画・年間予算/製品・サービスのカタログ、過去事業年度の売上一覧、開発中の製品一覧/製品に使われている重要な技術・ブランド・コンテンツ・ノウハウ・営業秘密の一覧/製造・販売・提供に使っているシステムの構成図とそこに含まれる知財の一覧「製品と技術の紐付け一覧」が存在しないことが多い。まずここを作るだけで調査が大きく進む
2. 自社保有の知的財産権保有知的財産権(出願予定を含む)の一覧表/出願書類・公報・登録原簿/先行技術調査や鑑定書等/著作物のサンプル、営業秘密・ノウハウの概要資料/自社開発の場合は開発メンバー一覧(退職者を含む)、職務発明・職務著作規程、職務発明対価の支払実績/外注・共同開発の場合は各種契約書/第三者から譲り受けた場合は譲渡契約書/担保設定契約書、ライセンスアウト契約書/受領しているライセンス料の一覧退職者を含む開発メンバー一覧、職務発明規程、外注契約書の3点が揃わないケースが目立つ
3. 第三者保有の知的財産権の利用利用している第三者保有の知的財産権の一覧表/共有関係となった際の契約書/ライセンスイン契約書(技術移転契約、クロスライセンス契約、オープンソースソフトウェア規約など)/サブライセンスを受けている場合は上流の契約書/サブライセンスアウト契約書/支払・受領しているライセンス料の一覧「ライセンス契約」という名称でない契約(共同開発契約・研究委託契約等)が漏れやすい
4. 紛争・第三者の権利侵害係属中の訴訟一覧・訴訟記録・専門家意見書等/訴訟外の紛争一覧・警告書等/過去の紛争の一覧、判決・和解調書、和解契約書/現時点で紛争性はないが侵害リスクに関する過去の調査資料(ウォッチングのレポート、鑑定書、先行技術調査、実用新案技術評価書など)過去に受け取った警告書が担当者の手元にしか残っていないことがある
5. 知的財産権の管理知的財産基本方針・知的財産戦略・知的財産取扱規則/ブランドガイドライン等/営業秘密の管理体制(組織図、研究開発従事者の一覧と入退社履歴、秘密管理規程、就業規則、秘密保持誓約書、取引先との秘密保持契約書、漏洩防止措置が分かる資料、第三者情報と自社情報を区分する措置が分かる資料)/職務発明の取扱い(職務発明規程、研究開発従事者一覧、対価支払実績)規程類が存在しない場合は、存在しないことを正直に伝えたうえでPMIでの整備を前提に交渉するのが現実的
6. その他(評価関連)定性評価に関する資料(技術ロードマップ、学会発表資料、研究者リスト、開発プロジェクトリスト、ブランディング戦略、パテントマップ等)/定量評価に関する資料(知的財産報告書、研究開発費、広告宣伝費等のブランド関連投資、知財の維持管理経費、市場規模とその根拠、現状シェア・予測シェア、当該事業の収益・予想収益、ロイヤリティ、技術のライフサイクル)研究開発費やブランド関連投資を科目として切り出していない場合、集計に時間がかかる

中小企業がすべてを揃えられることはまずありません。手順書自身も、全項目を調査することは取引規模によっては不相応であり、調査への対応力が限定的な対象会社にとっては過大な負担となるおそれがある、と述べています。売り手として現実的なのは、1の「製品と技術の紐付け一覧」、2の「保有知的財産権の一覧表」、3の「第三者保有の知的財産権の一覧表」の3点をまず作ることです。この3枚があれば、買い手は調査対象を絞り込めます。準備の進め方全般はセルサイドDD会社を高く売る方法、時期の考え方は会社売却のタイミングを参照してください。公的支援の活用はM&Aの公的支援、自己分析の枠組みはローカルベンチマーク、公的資料の探し方は公的資料ガイドにまとめています。

上記のチェックリストは、標準手順書の別紙「開示請求リスト」の構成を要約した目安です。実際に何を求められるかは、取引の規模・スキーム・業種によって変わります。資料が揃わない場合に「揃っていない」と伝えること自体は不利ではなく、むしろ調査未了の範囲を曖昧にすることのほうがリスクになります。個別の判断は弁理士・弁護士等の専門家に確認してください。

知財DDの限界——何ができて、何ができないか

最後に、知財DDでできないことを整理しておきます。標準手順書は、使用上の注意として、本手順書は知財DDを効率的に行うための手順の一例を挙げるものであり、知財DDにおいて実施すべき調査の水準を示すものではないと明記しています。記載されたすべての調査項目の実施が義務ではなく、出資額の規模やビジネススピードなどを考慮して必要最小限の調査項目に絞り込むことができ、発見されたリスクの中には修正・治癒が容易なものや事後対応で足りるものも存在する、という説明が付されています。

次に、知財DDは知財の価値を一意に算定する手続ではありません。手順書には「Ⅵ.価値評価」という分類があり、評価手法を定性評価と定量評価に大別したうえで、定量評価の代表的手法としてコストアプローチ・マーケットアプローチ・インカムアプローチを挙げています。ただしその記述は、コストアプローチは知財のビジネス上の価値が反映されず技術ベンチャーでは過小評価になりがちであること、マーケットアプローチは同様の知財が市場で取引されるケースが少ないため適用場面が非常に限定されること、インカムアプローチは事業への貢献度を加味できる一方で貢献度自体が大きな恣意性を伴うこと、といった限界とセットで示されています。手順書は、現状は知財の価値評価を行うか否かの判断も手法の選択も担当者の判断に依っているのが実情だ、とも述べています。

さらに、調査そのものの限界もあります。特許の無効理由の存否は非常に重要でありながら判断が困難な場合が多く、コストを踏まえて実施の要否を慎重に検討する必要がある、と手順書は述べています。著作権については、網羅性のあるデータベースが存在しないため、第三者の権利侵害がないことや、自社の著作物が他人の著作物の複製・二次的著作物でないことの確認は不可能であり、具体的な懸念が明白な場合でなければ調査を実施しなくてもよい、とまで書かれています。

だからこそ、手順書は調査結果の信用性の評価を重視します。時間的制約や開示資料の限定によって想定した項目の全部について十分な調査が完了できなかった場合には、調査未了の事項を特定すべきであり、調査未了の事項があるならそのリスクが顕在化した場合の影響を評価する必要がある、という整理です。一定の調査が完了した事項についても、認定の根拠を明記しておけば、後に開示や説明に虚偽や誤りがあった場合に原因や責任の所在を確認するのに役立つ、とされています。

知財DDは、権利の有無や契約上の制約を確認する調査であって、知財の金額を確定させる手続ではありません。また、実施には弁理士・弁護士等の専門家の関与が前提になります。本稿の記述は標準手順書等の公表資料に基づく一般的な整理であり、個別案件の判断に代わるものではありません。知財・法務・税務にかかる具体的な検討は、必ず弁理士・弁護士等の専門家に確認してください。

まとめ

知財DDは、特許庁の「知的財産デュー・デリジェンス標準手順書及び解説」が整理するとおり、法務DDの一部であり同時にビジネスDDの一部でもある調査です。進め方は、事前検討から調査対象の特定、調査方針の立案、資料開示の要請、調査実施という5つの作業で構成され、出発点は「全部は見ない」という割り切り、つまり価値源泉となる製品と技術を特定して重要性で絞り込むことにあります。

見る中身は、権利の帰属(誰のものか)、存否と有効性(生きているか)、権利範囲(どこまで及ぶか)、契約上の制約(自由に使えるか)、紛争と第三者権利との抵触、そして管理体制というガバナンスです。中小企業のM&Aでは、職務発明の取扱いと創業者個人名義の権利、商号・商標の未登録、外注先への著作権とソースコードの帰属、OSSの条件、ライセンス契約の支配権移転条項、営業秘密の管理——このあたりが繰り返し論点になります。

発見事項は、リスクの程度に応じて、取引の中止や価格の減額、クロージング条件や表明保証条項、PMIでの整備という順に割り振られます。知財が将来キャッシュフローの前提になっている会社ほど、この割り振りが価格そのものに直結します。売り手にできる最も効果の高い準備は、製品と技術の紐付け一覧、自社保有の知的財産権の一覧表、第三者保有の知的財産権の一覧表——この3枚を先に作っておくことです。揃わない資料は、揃わないと伝えたうえで整備の道筋を示すほうが、曖昧にするより交渉は前に進みます。個別の判断は、弁理士・弁護士等の専門家に確認しながら進めてください。

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